【連載もの】ぼんくら日記(17)

もし店を辞めたらとあれこれ想像する。そこに感傷的な気持ちは微塵もない。考えるだけでわくわくする時間だ。辞めたらどうするか? まず、海外旅行に真っ先に行くだろう。19歳の時に行って以来、まったく異国に飛んでいないのだ。実は、ガケ書房とホホホ座の狭間に行くつもりだった。パスポートもその時に25年ぶりに取り直していた。

しかし僕は、旅に出なかった。『どうして旅に出なかったんだ』という友部正人さんの歌のように僕は、なぜか旅に出なかった。一番大きな理由は、そのときイスラエル国の活動が活発で日本人が連続で人質に取られたり、自爆テロが各国で頻繁に起こっていたからだが、それは、言い訳にすぎない。そして今、そのパスポートも一度も使うことなく、まもなく期限が切れようとしている。
別に店を辞めなくても休暇を取って行けばいいじゃないか! まさにその通り。突然、失踪したらそうだと思ってください。あいつは、カリブの風になったのだと。

あとは、店を辞めて何をしようか。肉体労働してみようか。最初はしんどいだろう。初日でバテるだろう。続ければ体は締まるだろう。頭は丸めよう。ヒゲも生やしてみよう。キャラ変えだ、キャラ変え。同僚とカラオケに行ったら、何を歌おうか。たかじんでも歌うか。前野健太でも歌って、同僚をポカンとさせるか。「誰やねん。前田健太やったら知ってるけど」とか、かなりの確率で言われそう。

休みの日は、飢えを満たすように文化に埋もれる。映画を観て、音楽を聴いて、本を読む。たぶん、ずっと見れてなかったテレビも楽しむ。珈琲もあちこちで嗜む。心の栄養をたっぷり取る。コンサートや演劇にも今より行くだろう。元気な時間の残りを肉体労働で体感しながら、僕は趣味に使えるお金と時間を満喫するだろう。そんな時間が取れるとなると、余計、欲が張ると思う。

すでにそのような人生を過ごしている人は、年齢性別に関係なく世の中にたくさんいると踏んでいる。もちろん、趣味の内容は千差万別だろうけどもいいことだけを見ていけば、そういう風な想像ばかりしてしまう。
そんなに辞めたいなら、とっとと辞めたらいいのにという声が聞こえてきそうだ。本当に辞めたいのなら、なんとしてでも辞めてると思う。しかし憂鬱な朝がやってくるのを知りながら、ずるずると続けている僕がいる。

最近、周りの人がいろんなことを辞めている。店を辞めた人、仕事を辞めた人、夫婦を辞めた人、表現活動を辞めた人、人間を辞めた人etc…。そこに至るまでにはそれぞれの物語があり、喜怒哀楽がある。しかし辞めた人に共通する体験がある。それは、「ひとときの開放」。僕はその「ひとときの開放」に魅入られているのだろう。その後、すぐまたやってくる不自由、不都合には想像が及ばずに。

先日、若い友人が今の仕事を辞めて、本屋をしたいと話してきた。僕は反対し、違う仕事を提案した。それが僕が彼に出来る唯一のことのように思えたからだ。しかし彼はそれでもやるかもしれない。「ひとときの開放」に魅入られて。

Profile

山下賢二

ホホホ座1階店主

ホホホ座の連載もの

  • 『ぼんやり京都』松本伸哉
  • 『ぼんくら日記』山下賢二
  • 『絵そらごと〜こどもじみた大人たちへ』下條ユ