【連載もの】ぼんくら日記(3)
10年くらい前から何度も何度もインタビューなどで話してきたことだが、店に並べる本は自分の趣味では置いていない。しかし、少し前に出た本でどうにも食指を動かされた本をベラベラと2冊紹介します。
『大瀧詠一Writing & Talking』白夜書房 4500円+税
12月の終の日に、急逝した大瀧詠一のインタビュー・原稿・レビュー・対談・ライナーノーツなどを網羅したブ厚い歴史的資料価値本。
まず最初に言いたいことは、いわゆるはっぴいえんどメンバーでは、細野晴臣と大瀧詠一の本が出版されることが多いのだが、当店での売れ行きは圧倒的に細野本に軍配が上がる。YMOというもう一つの知名度。いまだオリジナルアルバムを出し、ライブもする現役感。若い世代とのコラボレーション。モダンな雰囲気とその声と老年マインドの茶目っ気。僕も細野晴臣は大好きだし、嫌いなわけでも恨みがあるわけではないが、これだけ本の売れ行きに違いが出ると、大瀧詠一ファンの僕は、声を大にしたくなる。
確かに、大瀧詠一は1984年以降アルバムを出していないし、 それ以前の自分のもしくは、他人の音源を振り返る作業に終始していた感はある(シングルは2枚出ましたが)ので、若い世代は能動的にアプローチしていかないとその魅力に<たどり着けない>部分はあるのかもしれない。しかし、大瀧詠一がループし続けたその訳は、このブ厚い本を読めば納得できるような気がする。
ここに載っているのは、当時の記事の再録。つまり、後年お馴染みの<自分の仕事を振り返っている大瀧詠一>ではなく、はっぴいえんど~ナイアガラ~ロンバケ時代の現役バリバリの頃の発言や文章が読めるのだ。(実はその頃もルーツミュージックを語る上でさらに前の自分を振り返ってますが・・・。)
この本にはポップス研究者としての大瀧論考が載っているのが嬉しい。大瀧ファンの間では有名な「ポップス分母分子論」「ポップス普動説」がバッチリ収録されているし、個人的には自分史を語っている珍しいインタビューが興味深かった。幼少時代はもちろん、はっぴいえんど前の就職先でのエピソードなど小さな発見がある。また、彼が率いていたナイアガラレーベルの頃の記事では、後年の仙人然としたイメージとは違う人間くさい大瀧詠一の苦労と失敗の連続の歴史が赤裸々に再録されている。そんな大瀧さんに僕は余計に愛着がわく。大瀧さん曰く「失望の母は期待である」とのこと。これは、けして後ろ向きな言葉ではなく、たくさんの失敗から産まれ出た、地に足をつけて生きる平常心への言葉なのだろう。
『kotoba 第20号』集英社 1334円+税
僕が個人的に好きな雑誌は「考える人」、「エンタクシー」、そして、この「kotoba」だ。昔、kotobaの本屋特集に載せてもらったときは、どの雑誌の本屋特集に載るよりも嬉しかった。今回は「全集特集」だという。時代錯誤もいいところだ。だから僕はその編集方針に拍手を送りながら迷わず買った。
本があちこちの場面でないがしろにされるこの時代に、かさばり、重く、正規の値段は高く、古書値はメチャ安いという非効率なこのシロモノに愛を注ぐこの特集。表紙に書かれたコピーが誘惑の多いこの時代に挑戦している。「もっとも贅沢な読書」。巻頭の池澤夏樹インタビューでは、全集という存在はかつて、日本人の教養主義の象徴だったと話されている。「学を身につけたい」という戦後復興~高度成長期にも繋がる淡い思い。家に全集が置いてあるという安心は、「いつかこれを読むのだ」という未開の知識欲を満たす積ん読的安心と、来客用のインテリインテリアとして鎮座してくれている安心を満たすものだろう。しかし、そのどちらも<本当に読む時>が来ない限り、それは実体のないものだ。実体のないまま、時代は流れ、かつての全集はお払い箱になろうとしている。今の時代、全集は<何かのための教養>ではなく、あえて<豊潤な娯楽>として読まれなければ、アプリの半径100m圏内にも近寄ることができないのではないだろうか。
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山下賢二