【連載もの】ぼんくら日記(7)
「Me too」
出勤途中、ガラケーを目いっぱいマイナンバーの案内ポスターに近づけて、写真を何枚も撮っているおじさんを見た。翌日そこを通ったら、またそのおじさんがいて、やっぱりガラケーでポスターの写真を何回も撮りなおしている。しかしよく見ると、マイナンバーのことを知りたくて撮っているのではないようだ。おじさんは、案内ポスターの女性タレントのどアップをガラケーに一生懸命、保存しようとしていたのだ。僕は、その前のめりな背中を見ながら、中学生の切実さを感じていた。
切実な姿の実態は美しくないかもしれない。しかし、赤ちゃん、動物、子ども、おじいちゃん、おばあちゃんなどの不器用な切実はかわいい。そこに、おじさんが入ることもある。それは、社会的弱者の一生懸命な姿に【なんか、どんくさい】がプラスされた場合に発生するのかもしれない。
知り合いにプロレス大好きのおじさんがいる。そういう僕もプロレス大好きおじさんだ。しかしプロレスといっても、今のスポーティなプロレスにはあまり興味がない。お好み焼きのような昭和の粉っぽいプロレスが大好物だ。その対比でいえば、昭和プロレスはどんくさい。そして、それを未だに支持している人たちも、もれなくどんくさい。たちの悪いことに、彼らはどんくさいのに、かわいくない。見事なおっさんたちだ。
見事なおっさんは、少年時代に夢中になったモノとともにずっと生きている。社会的に不安定な人もたまたま安定している人も、気を抜くと、すぐに少年時代の熱狂に舞い戻る性質だ。ホホホ座で「昭和プロレスマガジン」という雑誌を売っている。タイトルに違わぬ、昭和プロレスのことしか載っていない熱狂雑誌だ。よく売れている。買いに来る人は皆、愛すべき見事なおっさんばかりだ。
吉田豪さんが「プロレスが好きな人に悪い人はいない」と言っていた。プロレスという【ファンタジーなのにハードコア】な世界に身をまかせられる心根は、のんきさがないと出来ないことだ。いい年をして。
先ほどのプロレス大好きおじさんと話していて、その人が分析した同類の人たちの特徴が興味深い。そういう人たちは、プロレス会場のリングサイド席につかうお金は惜しまない。大体1万円ぐらいする。しかしその人たちが、そこに座って食べるのは、夕方スーパーで半額シールが貼られて安くなったいなりずしのパック。そして、服は毎日着てる薄汚れた同じもの。価値の一本釣りがそこにある。つまり、彼らは衣食住にまったく興味がない人種ということなのだ。
それを聞いてすぐに(あ、俺もや)と思った。
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山下賢二