【連載もの】ぼんくら日記(1)
先日、30代のある女性から聞いた話が最近、僕も感じていた事なのでツボにはまって大笑いしてしまった。その人は、男性も交えた4人で喫茶店に入ったという。まったく初めての店でカウンターに近いテーブル席に座った。お客は、4人のほかにカウンターに団塊世代と思わしきおじさん1人。飲み物が全部揃ったところで、本来の目的であった新聞に載っているクロスワードパズルを皆で解き始めた。ああでもないこうでもないと4人で相談し、解いていく。ある程度、埋まったところで休憩し雑談していたら、何か視線を感じる。視線の先を見ると、カウンターのおじさんがこちらをギンギンの眼で見ていたという。その眼は、「オレにも話しかけてくれ。オレも仲間に入ろうか?」と凄い圧力で語っていたという。おじさんはその眼と微妙なスマイルで、とにかくよく4人に視線を送ってきたらしい。それが逆になんかイヤだった4人は、阿吽の呼吸で全員で最後まで無視し続けて、クロスワードを全部解いて店を出たらしい。
なんともどちらもいじらしいではないか。おじさんは定年退職して、いつも決まった時間に喫茶店に来て、マスターと世間話をする常連さんなのかもしれない。僕がよく行くチェーン店にもそういうおじさんはやはりいて、僕はもちろん、入って来る人すべてに視線を合わせてくる。そして、自分の存在をアピールするかのように、少し大きめの声で店員さんとその日の店の雰囲気を話したりする。「今日は混んでるねぇ~」「今日はあの子休み?」とか。
そういうおじさん達を非難するつもりはないのだが、最初のコミュニケーションをとるときのタッチを間違いがちなのかもしれない。それは一概にこうするとよいのだというのは、もちろん存在しない。1つ言えるのは、その人自身のキャラクター・相手のキャラクター・その場の空気を客観的に読み取る力が不可欠なんじゃないかと思う。それによって、戦略は毎回変わるだろう。性別や世代が違ったりしたら、余計に踏み込むタイミングは慎重に検討すべきだろう。強引に割り込んでも相手を楽しませることができるキャラクターや話題を持ってる人なら関係ないかもしれないけど、その場合、大体は結果的におじさんの一方通行になっていて、あとで「うざかったね」とか別れたあとに話されるケースが多い。対策としては、その場をおごれば納得させられるのだが、そこまでの器がある人は少ない。
これは、もうおじさんの年代になった僕にもあてはまる。しかし、僕はとにかく1人で過ごすことが好きなので、見知らぬ人に話しかけることはいまのところない。誰かと話したいおじさんは、もしかしたら1人でいることに飽きた人たちなのかもしれない。だから僕も仕事も家庭も友達もなくなって、1人の時間がやたら多くなったらそういう気持ちになるのだろうか。なにか酷いことを書いているような気がしてきたので、この辺で終わりにします。
と思いましたが、追伸。たまに夜中にスーパー銭湯に行くことがあるのです。もちろん1人で。露天風呂に浸かって夜空を観たりして思いにふける、考え事や妄想をする。そんなとき、いつも不思議に思うことがある。それは若い人に限って、誰かと一緒に来るということ。余計なお世話だけれども、もったいないなと思ったりする。せっかく自分の内面と向き合える時間と空間が目の前にあるのに、彼らは<いつもの>友達とじゃれあう。まるで、手持無沙汰を隠すように。まるで、スマートフォンを使えない時間をつぶし合うかのように。
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山下賢二