ぼんやり京都(9)

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もう一度みたいと思うテレビドラマがいくつかある。
90年代なかばにNHKで放映された、山田太一の『家へおいでよ』というドラマもそのひとつだ。大学教授の住む大きな洋館に、共同生活をすることになった男女を描いた、山田太一らしい群像劇だった。

なぜこのドラマを熱心にみていたかというと、鈴木砂羽さんが出演していたからだ。放映の少し前に、『愛の新世界』(高橋伴明監督、大傑作)という映画をみて、まるで『ブルーベルベット』(デヴィッド・リンチ監督)のイザベラ・ロッセリーニを思わせる、ただれたような、あやしい美貌の彼女に、その頃の僕はすっかりやられていた。
しかし、ドラマをみはじめると全く違う女性に目を奪われた。鈴木砂羽さんの友人役として出演していた、小橋めぐみさんという女優だ。
きれいな、大きい目をした女性で、鈴木砂羽さんとは対照的な、清潔感のある、いかにも日本的な美人。確かにかわいらしいが、最初の印象は薄かった、しかし、物語が進むにつれ、お目当ての鈴木砂羽さんよりも、どんどん彼女の存在感に目を奪われるようになって行った。

山田太一の脚本は、日常会話のなかで、なんとなく聞き逃してしてしまうような言葉のひとつひとつの輪郭をくっきり際立たせ、がっちりした言葉のドラマを作り上げる。日常劇に必要な、細かいディテールを言葉でも表現して行く。そんな山田太一らしい、説明的な長台詞を、必要以上にかみしめながら話す彼女の演技が強烈に印象に残った。
セリフまわしは、たどたどしく、不器用なものだったが、山田太一的な「言葉の強さ」を感じさせた。文字通り、それは力みすぎの演技だったのかもしれない。ただ、未だにあのドラマのなかで、はっきり思い出せるのは、小橋さんが登場する場面だけだ。不思議なことに。

 

先日、街中の大型書店に入ったとき、偶然目に止まった本に小橋めぐみの名前があった。同姓同名の別人かと思ったが、帯にある写真の横顔は見覚えのある、あのドラマの彼女だった。
単なるタレント本かと思いきや、『恋読』という名の読書エッセイ集であった。
女優としての彼女は、ある程度知っていたが、本を出すまでの経緯は全く知らない。いつの間に文化人枠に入ったのだろう?少しばかりの好奇心もあり、購入し、読んでみた。

一応、自分も本屋らしきことをやっているので、タレントの書評集かよ。と、完全になめてかかっていたのだが、ここ最近では、ありえないほど感銘を、というか、ショックを受けた。

この本を手にした時期とほぼ時を同じくして、ラジオ番組で担当していた書評コーナーを降りた。
理由は二つある、本を作る仕事やお店の運営が、あまりにも忙しくなってしまったこと。「本を紹介する」という作業に自信が無くなってしまったこと。どちらかというと、後者の方が理由としては大きい。

同じことを繰り返している。
自分の名前で何かを発表することには、からっきし自信が無い。レコード屋時代に、CDのライナーノーツを数編書いたことがあるが、その時も本名ではなく、ペンネームで書いていた。
数年前には、ある特殊なジャンルの音楽にたまたま詳しかったため、共著で本を出す話を頂いた。しかし、書けば書くほど自信がなくなり、ほぼ仕上がっていた原稿を、自ら闇に葬ってしまった。幸い、その本は無事出版されたが、担当編集者には、とんでもない迷惑をかけてしまった。

これは、単なる自意識過剰でしかない。
ラジオの書評も、「人と違う、おもしろいことを書いてやろう」という意識が常にあったと思う。承認欲と臆病さがないまぜになった、やっかいな感情。

『恋読』の解説で、書評家である豊崎由美氏が、小橋さんのことを「小橋さんの書評は素直です」と評している。女優という、自意識が無駄に増大してしまいそうな仕事をしていながら、「本読み」としての妙な自意識は感じない。経験値は十分ありながら、知識をこねくり回さず、いつでもフレッシュな姿勢で本に向き合っている。その面白さを伝えるために書き足りない部分もあったに違いないが、無理にそこには踏み込まない。
保坂和志の『未明の闘争』という、自分なら間違いなく、一言、余計なことを言ってしまいそうになる難読長尺作品に対して彼女が感じているのは、達成感と開放感。読後に「よし。大掃除をしよう!」という気持ちになるのは、極めて正しい。「眠くなる映画が、悪い映画というわけではない」というのと同じで、それもまた、良い本のあり方なのだ。

そんな書き方は僕には出来ない。本と日常を素直に重ねて行く彼女の語り口は、読んでいて、心地いい。
自分の中にのうのうと横たわる自我の地平を越えるには、あまりにも多くの荷物を抱えてしまっていることを、改めて気付かされた。

今この瞬間も、この文章の結末に、何かトリッキーな味付けができないかと考えている。
『家へおいでよ』の、きりりとしたまっすぐな視線の小橋さんに「お前は、いつまでそうなのか?」と諌められているような心境だ。

2017年、僕は50才になる。どう考えても「天命を知る」ことは無さそうだが、少しは素直さを取り戻せるだろうか?

 

 

 

Profile

松本伸哉

ホホホ座2階店主

ホホホ座の連載もの

  • 『ぼんやり京都』松本伸哉
  • 『ぼんくら日記』山下賢二
  • 『絵そらごと〜こどもじみた大人たちへ』下條ユ