【連載もの】絵そらごと〜こどもじみた大人たちへ ② イモガイの女

685F1A59-3019-4D5C-BD46-C468A0DF3D90

「イモガイの女」(映画「シェル・コレクター」公開によせて)

画家、いずみ。

イモガイのような女。

かなりやっかいな女です。

迷惑なくらい、ど真ん中でいっちゃった女だと思います。はっきり言って苦手なタイプかもしれません。しかもその女、歓喜と狂気のすれすれみたいなかんじで絵を描く。勝手に盲目の学者のベッドの横で。目が見えないからいいや、とでも思ったのか。

絵で演じる。ということなのかな?

寺島しのぶさんは、彼女を濾過させた完璧な「いずみ」になっておられた。
いずみは、生まれ変わったばかりの歓喜に勢いよく発狂し、その姿がほんとうに嬉しそうで、生命の力の気が溢れ出てた。
いずみってめんどくさい女だな、と思ってただけに、突然彼女が愛おしくなりました。

自分は絵を描くことで映画に参加したのだけど、下條ユリではなく、「山岡いずみ」という女になって描いた。いや、わたしはわたしの絵を描いたわけだけれど、いずみという女がこの物語のなかで、何を感じ、どう動くのか、その心情になって、彼女の影のような絵を描きました。

嵐の夜、渡嘉敷島の浜辺の小屋で描いた絵は、イモガイのようで、イモガイの気持ちのようでもあり、イモガイのような女が描いた絵。です。
風葬をされてたいたこともあるというその浜辺。その浜には波に命を攫われた少女の追悼菩薩が護られていた。その他、ごまんといる死者の霊が空と海にいるような、神聖で荘厳な入江。ロケ地として選ばれたその場所にポツンと建つ、貝のような形をした小屋。
たったひとりで嵐の中、「大丈夫ですか?」とみなさんに念をおされつつ、ハワイのジャングルで暮らしてたこともある自分は、おそらくかなりフレキシブルに対応できるタイプなので、でも、ほんとうはけっこう怖かったけどもう覚悟を決め、そこで孤独と親密に暮らす盲目の学者のように、嵐の夜の、神聖なひとりの時間を贅沢に思うことにして、浜に入るときに「よろしくお願いします」と一礼、描き始めるときも、何もない壁に向かってまた一礼
姿の見えないものたちも、ちゃんと誠意と敬意を伝えたら、なんかこの映画を応援してくれるようで、二晩三日をかけて完成させた絵になりました。

監督。そもそもいずみって、どんな女?学者は?
坪田監督と、あれやこれや気持ちを伝え合って架空の現実を創ってゆく。そんな風に「いずみの絵」を描くことができました。

そして、わたしの描いたあのイモガイの絵は、いつまであの壁に存在しているのかわからないけれど、渡嘉敷島でカフェの壁として生きてゆく、とかいうお話を耳にしたような、、、
だったら、嬉しいな。

イモガイのような女のイモガイの絵はあの島でしか生きていけないと思うし、たまに誰かから話しかけられたりしたら、なおさら、すごく嬉しいのだと思う。
絵を描いた時、あの場の、吸い込まれるような渡嘉敷島の浜辺の空気が、壁画のまわりに漂っていた。
あの浜辺、あの太陽、あの雲、あの月、あの星、あの草花、あの貝殻、、、
カメラと絵の間に漂っていた凛とした空気。その空気が、映画の中に生きていて、映像の透明度に驚た。

こんな映画を創った坪田義史監督は、曇ってるのか澄んでいるのかわからない不思議な人です。そのキテレツなアイデアに、情熱的に、真摯に向かいあうキャストとスタッフの方々、その螺旋に自分も参加して呑み込まれ、さらに深い不思議なご縁に至るきっかけになった。命と引き換えに毒に刺されてみて、生きかえれるのか、それとも死んでしまうのか、映画を観方がこの螺旋に一瞬でも呑み込まれて、何かを感じてくれたらいいなと思います。

今、ロンドンの南西、サセックスという美しい田舎にいます。
魔法使いが箒で木々の間を木菟と飛んでいるような、奥深い森の中の500歳の家で、暖炉の火にあたりながら、祝『シェルコレクター』日本全国ロードショー解禁の作文を書いてみました。

盲目の貝類学者のように、自然のつぶやきに耳を傾けてもうすぐ眠りにつきます。

うず巻とともに。

下條ユリ

2B309839-C0A9-48AB-BB2C-C234AC15F81C

IMG_0542

A28F0E2A-DB53-42E5-83DB-7BB479058639

 

Profile

下條ユリ

ホホホ座員ではありません
インスタグラム @yurishimojo

ホホホ座の連載もの

  • 『ぼんやり京都』松本伸哉
  • 『ぼんくら日記』山下賢二
  • 『絵そらごと〜こどもじみた大人たちへ』下條ユ