【連載もの】ぼんやり京都(11)
小学校2年生のときに、神隠しにあったことがある。
集団登校の待ち合わせ場所までの、ほんの数分間の間に、この松本伸哉が忽然と姿を消したらしい。両親が大騒ぎして探したところ、数時間後に通学路とは全く逆方向の、かなり離れた側溝のなかでうずくまっていたところを発見された。と、伝え聞いている。特にケガや、変わった様子はなかったそうだ。
そのときの記憶は全くない。
「神隠し」(正確には、神隠しから帰還した。ということだが)という、おどろおどろしい表現を使ったのは、もう一つの、奇妙な記憶と結びついているからだ。
通学路には大きな竹林があった。大人でも方向感覚を失うような、かなり広大な竹林で、あまり近づくな、と言われていたのだが、偶然、けもの道のような巡回ルートがあることを発見してからは、たまに、その竹林で友達と遊んだりすることがあった。
ある日のこと(誰かと一緒だったかどうかは憶えていない)、いつものように巡回ルートを進んでいると、突然、広場のような場所に出て、数本の竹に囲まれた1軒の家があるのを見つけた。
その家の様子は、今でも割とはっきり憶えている。建築現場にあるような、水色の屋根がかかったプレハブ平屋で、すりガラスの窓には、ハンガーに吊るされた数着のシャツや上着がぼんやり見えており、外には物干し台と洗濯機があった。洗濯機のそばに、濡れてヨレヨレになった粉石鹸の紙箱が置いてあったことも憶えている。
しかし、誰に聞いても、そんな家があるはずはないと言う。
実際、その後、竹林の家にたどりついたことは、一度もなかった。
神隠しにあった時期と、竹林の家に出会った時期は、そう離れていないと思う。同じ濃度の、うっすらとした靄に包まれた記憶だ。
言語化すれば、不思議な話に思えるだろうが、僕自身の感じ方では、恐怖とか、不気味とかの感情は一切ない。その頃合いの、色んな状況を具体的に結びつけようと思っても、一瞬にして脳みそのしわがつるつるになったように、何も考えられなくなってしまう。今でもずっと。
都市伝説や、怪談のように絶妙なオチがあるわけでなく、日常には、意味や理由を持たない「ただ、そこにある不思議」が、ぽっかりと口を開けて待っていることがある。
それは、人の感情をゆさぶることがない、あまりにも純粋な不思議ゆえ、記憶に残らなかったり、気づかないこともあるのだろう。
長々と書きましたが、25年ぶりの『ツインピークス』を見終わって思ったのは、そんなことでした。
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松本伸哉