【連載もの】ぼんやり京都(4)

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原節子の姿をスクリーンで初めてみたのは、かつて一乗寺にあった名画座、京一会館で上映された小津安二郎特集。京一会館では頻繁に小津の特集が組まれ、代表作のほとんどをスクリーンで鑑賞できたことは、今思えば幸運だった。

正直なところを言うと、小津の映画に登場する原節子には最初、全く馴染めなかった。西洋的な作りの大きい顔立ちで、体型もどちらかというとガッチリしている。同じ小津組の常連でもあった田中絹代の、いかにも日本的で、可憐な美しさと比べると全てが派手。当時の松竹看板女優であった有馬稲子や岡田茉莉子も地味な顔立ちではないが、現代にスライドしても、そのままアイドル女優として通用するような可愛らしさがある彼女らに対し、原節子の美しさというのは、その「華やかさ」という面で突出している。むしろ、あの時代の日本映画界ではかなり特殊な容姿であったように思う。

しかし、何回か小津の映画をみているうちに、やはり原節子でなければいけない理由が、徐々にわかってきた。
小津の作品は、とりわけエキセントリックなキャラクターが登場するわけではないが、実は役者がかなり「キャラ立ち」している。
代表作『東京物語』でも、40台後半で70歳の老人役を演じた笠智衆はいわずもがな、主役クラスなのに絶妙に存在感を薄く演じる東山千栄子、「ゆかい、ゆかい」と泥酔する東野英治郎の厄介さ、「うまいね、この豆」と豆ばかり食う中村伸郎、「およしなさいよ、そんな豆ばっかり」と、ガラモンのような表情で憮然する杉村春子。など。
小津の演出と役者がぴったりはまり、そこにある種の「お約束」のようなもの作り出し、存在感を際立たせる。
スクリーンに幾度となく登場する、パッと大輪の花が咲いたような原節子の笑顔はひとつの「お約束」として、観るものに不思議な安心感を与えてくれる。単純な女性としての美しさだけではない、芸術作品のなかにある、モチーフとしての美しさだ。他の女優では「きれいだね」とは思うかもしれないが、原節子のような感銘を受けることはないだろう。

笑顔が印象的な原節子だが、個人的には彼女が見せるシリアスな表情の方が好きだ。
『東京物語』のラスト、列車のシーンで手元から正面に目線を移す瞬間、ふとみせる暗い表情。劇中の、清廉で心やさしいお嬢さんとは別人のような、深い人間の業がちらりと垣間見える気がして、ぞくぞくする。

その謎に満ちた人生は、女優としてこれ以上ない理想型だったのだろう。実際にひとりの女性として幸せであったかどうか?というのは下衆の勘繰りだ。
原節子は、映画女優としての原節子として永遠に残る。
存在そのものが、最高の芸術作品として。

 

故人のご冥福をこころよりお祈り申し上げます。

Profile

松本伸哉

ホホホ座2階店主

ホホホ座の連載もの

  • 『ぼんやり京都』松本伸哉
  • 『ぼんくら日記』山下賢二
  • 『絵そらごと〜こどもじみた大人たちへ』下條ユ